FC町田ゼルビアがJ2昇格:22年ぶりに夢実現、東京で3番目のJリーグチーム

111212zelvia01JFL(全日本社会人リーグ)のFC町田ゼルビアが12月12日、Jリーグ2部への昇格を果たした。昔から少年サッカーが盛んで、清水市に次いで多くのJリーガーを輩出している町田市に「市を代表する社会人クラブを作ろう」と1989年にチームの前身である「FC町田」が発足して以来、地域リーグからJFLへと階段を上り、22年目で目標にたどり着いた。東京のJリーグのサッカーチームは、FC東京、東京ヴェルディに次いで3チーム目。来季はJ2に所属、同時にJFLから昇格した松本山雅FC(長野県)とともに22チームによるさらにハイレベルの戦いに臨むことになる。

写真=だるまに目を入れて喜ぶ(左から)下川社長、津田選手、石阪市長

111212zelvia02この日、町田市役所で16時30分から開かれた記者会見には、下川浩之・株式会社ゼルビア代表取締役社長、石阪丈一市長、キャプテンの津田和樹選手が出席、Jリーグの大東和美チェアマンからの連絡を待った。35分ごろ大東チェアマンから理事会の昇格決定の知らせを携帯電話で受けた下川社長(写真左)は「チェアマンから連絡をいただいてホッとしています」と語るとともに「Jリーグに上がって、これからが本当の勝負」と気を引き締めていた。また、石阪丈一・町田市長は「私もホッとしました。(J2昇格見送りで)昨年くやしい思いをしただけ(喜びも)ひとしおです」と顔をほころばせ、3人で青いだるまに目を入れて昇格を喜んでいた。
津田選手は「これまでかかわってくれた選手たちを忘れてはいけない。彼らがいなければJリーグに上がれなかった。全員で勝ち取ったJリーグ入りだと思う。来年はJ2で、Jリーグチームとして恥じない戦いをし、J1という目標に向かってがんばりたい」と表情を引き締めていた。
監督を務めたこともあるゼルビア代表の守屋実さんは「ただJリーグのクラブをつくりたいということではなく、クラブ創設者の重田貞 夫さん(故人)が『地域にスポーツ文化を根付かせたい』というしっかりとしたビジョンをつくり、多くの人たちがそれに向けて努力してきたことが花開いた。 これまでかかわってきたたくさんの人たちと昇格を喜び合いたい」と永年の夢の実現にほほを紅潮させていた。

111212zelvia03FC町田ゼルビアは、1998年に「FC町田」から改称、2009年からはJリーグ準加盟クラブとしてJリーグ昇格をめざしてJFLで熱い戦いをくり広げるとともに、町ぐるみで目標の達成に取り組んできた。
「FC町田」は市内の小学校教師らが1977年にサッカー少年のトレーニングセンターとして活動を始めたのがきっかけ。同市では、Jリーグがスタートする前年の1992年に町田青年会議所のメンバーを中心に、全日空(横浜フリューゲルスの前身)の町田誘致をめざしたが実現できず、それを機に、「町田市にJリーグチームを実現する会」が設立され、「FC町田」がそれを担うことになった。また、この年から、町田市サッカー協会などの主催で、毎年新年に「サッカーフェスティバル」を開催、同市出身のJリーガーも参加してサッカー少年との交流を深めるなどの活動を行ってきた。
昨年は、昇格条件のひとつであるJFLの3位の成績を収めたが、ホームスタジアムの野津田にある町田市陸上競技場がJリーグの基準を満たしていないなどの理由で昇格が見送られ、選手だけでなく、市民をがっかりさせた。
今季は、昨年と同じ3位に入り、また町田市がスタジアムの改修などを13年に完成させるなどの取り組みが評価され、Jリーグへの昇格が認められた。
下川社長は会見で、「競技場ができていない状態で、メディアセンターを建てるという条件でOKした」といったJリーグ理事会の「異例」の決定について大東チェアマンの電話の内容を披露したが、昇格したとはいえ来季は3年連続の赤字の解消、ホームスタジアムの整備など大きな宿題を預けられたかたちだ。また、クラブとしても、22というこれまでで最多のチームによるリーグ戦は相当な過密スケジュールが予想される、さらに今季指揮を執ったポポヴィッチ監督がFC東京の監督に就任、新しい指揮官選びをはじめ新たなチーム作りも急がれるなど、行く手には大きな荒波がいくつも待ち受けている。

写真右下=昇格を喜ぶ(左から)津田選手、下川社長、石阪市長、加藤英典副市長、守屋代表