二ヶ領用水竣工400年記念碑が川崎市多摩区宿河原の緑化センター近くの八幡下橋に立てられ、5月4日に除幕式が行われた。式典には川崎市観光協会連合会の斉藤文夫会長、阿部孝夫川崎市長ら関係者約70人が出席、江戸時代初期に用水を完成させた小泉次太夫ら先人の偉業と、農業や工業、生活に欠かせない命の水として川崎の発展を支えた用水の大切さに思いをはせていた。
写真右=竣工400年記念碑
多摩川沿岸の稲毛・川崎領と世田谷・六郷領の農業用水の開削を徳川家康から命じられた小泉次太夫が14年の歳月をかけて川崎側に二ヶ領用水を、東京側に六郷用水を慶長16(1611)年に完成させた。
記念碑はこの偉業を記念するため川崎市観光協会連合会が立てたもので、大きさは高さ121cm、幅183cm、奥行き24cmの根府川石製で、表面に阿部市長の筆になる「ふるさとの生命を育んだ二ヶ領用水」の文字が刻まれ、裏面に用水などについての解説を記した銅板がはめ込まれている。
式典では、阿部市長、斉藤会長、二ヶ領用水竣工四〇〇年記念プロジェクト実行委員会の長島保代表、地元の小学生など11人が紅白の綱を引いて除幕を行った。式典は当初3月に開く予定だったが、東日本大震災のため、1カ月余り延期して行ったもの。
斉藤会長は 「二ヶ領用水はきれいで水量も豊かだったが、川崎の南部ではすっかり昔のおもかげが失われてしまった。しかし、碑が立ったここには、かつでの景観が残っている。川崎の暮らしを支えた用水を掘った小泉次太夫と、(用水の中興の祖の)田中丘隅に、現代の私たちは感謝するとともに、これからもふるさとの誇りとして伝えていきたい」とあいさつ、阿部市長は「(碑が建てられた)宿河原付近は地元の人が用水の愛護活動を熱心に行っており、神奈川県下でも名前の通った桜の名所にもなっており、この地に碑が完成したことを喜びたい」と祝いの言葉を述べた。長島代表は「用水の取水口は一般に、上流にある上河原堰ということになっている。しかし、地元では二ヶ領用水本川を『新川』と呼んでおり、疑問に思って文献などで調べたところ、最初に小泉次太夫が掘ったのは、この宿河原線ということがわかった」と新説を披露、「400年記念碑がこの場所に立てられたのは偶然とはいえ、大きな意義がある」と強調していた。
写真左=記念碑の除幕